南谷健太
森・濱田松本法律事務所 弁護士
南谷健太
森・濱田松本法律事務所 弁護士
弁護士(第二東京弁護士会所属)、公衆衛生学修士(MPH)。東京大学経済学部経済学科卒業、慶応義塾大学法科大学院修了、ハーバード大学公衆衛生大学院修士課程修了、スタンフォード大学ロースクール修士課程修了。労働法・ヘルスケア等、人々の健康に関わる幅広い分野の法律問題を取り扱う。また、パブリックヘルス(公衆衛生)やプラネタリーヘルスの概念をビジネスセクターや法曹界に広めるべく、情報発信や講演等の実施、政策提言への関与など、多方面で活動。著書に『労働事件ハンドブック改訂版』(共著、2023・労働開発研究会)、『ヘルステックの法務Q&A[第2版]』(共著、2022・商事法務)等多数。2022年~2024年に人事労務分野でThe Best Lawyers in Japan: Ones to Watchを受賞。
Chapter 2-1:ハーバード大学公衆衛生大学院(前編)
千代谷
ヘルスケア法務をご担当されるうちにパブリックヘルス(公衆衛生)にご興味を持たれるようになったのですか?
南谷
そうですね、ヘルスケア法務というのは主に薬機法関連と個人情報保護法関連のアドバイスというのが中心です。個人情報保護法とヘルスケアの結びつきがイメージしにくい方もいらっしゃるかもしれませんが、重要な法律です。例えば、PHRなどの個人データを取得した事業者が当該データを第三者に提供するとき、本人の同意を得ずに行ってもよいのか、などの問題があります。他にも様々な論点があるのですが、そういった業務を担当する中で、ヘルスケア自体が国民皆保険制度というシステムの下で動いているという実感を強く持ちました。そのため、個々の案件を超えて保健医療システム全体にも関心を抱くようになりました。
私の所属している事務所では在籍5年ほど経ってくると海外の大学院、主にロースクールに留学をします。そのタイミングで、自分は海外で何を学ぼうか考えたとき、ヘルスケアシステム全体を俯瞰できるような学びができるとすごく面白いのではないかと思いました。また、これまでの労働法・ヘルスケア法務双方の知見を活かしつつ、より深い学びを得ることができるのではないかとも感じました。そうした学びができるのはどのような環境なのだろうかと色々調べたところ、パブリックヘルスがやりたいことに近いとわかりました。そして、パブリックヘルスを学べる公衆衛生大学院というものがアメリカの著名大学にも数多く設置されていることに気づき、受験してみようと思うようになりました。
千代谷
留学先としてロースクールではなく公衆衛生大学院を選択することについて、法律事務所の同僚の方たちはどのような反応でしたか?
南谷
所属事務所には「チャレンジするならやってみればOK」というマインドの人が多く、応援してくれる先生も周りたくさんいたのですごく嬉しかったです。ただ、「公衆衛生を学ぶ意義はよくわからないけれど、チャレンジ頑張ってね」という反応が一番多かったです。ただ、これは私自身がパブリックヘルスを学ぶ意義を説得的に周囲の弁護士に伝えられなかったことの裏返しでもあると思います。なので、「公衆衛生大学院に行くんだね。ヘルスケアを深く学ぶのにすごくいい選択だから、多くを吸収して帰国後の実務に活かせるよう頑張ってね」といった反応を増やしていくことが今後の自分の大きな目標の1つです。
千代谷
留学先に米国、特にハーバード大学公衆衛生大学院を選ばれた経緯をお聞かせいただけますか。
南谷
パブリックヘルスを知れば知るほどますます素敵な概念だと思うようになったのですが、周りの弁護士や非医療従事者の友人にパブリックヘルスの話をしてみると、パブリックヘルスという概念自体ピンとこないという人がほとんどでした。日本語の公衆衛生という単語から、感染症予防・対応というイメージを持った人が多く、「帰国後は感染症法を専門にしたいのか」という疑問を呈されたこともありました。
パブリックヘルスはもっともっと広い概念なんです。集団の健康を考える、ある意味ヘルスケアとほぼ同義といっても過言ではないぐらいの概念だと思うので、ヘルスケア法務に関心がある弁護士を含め、本来であれば多くの弁護士が興味を持っていいはずだ、との思いがありました。そのため、留学先を決めるにあたっては、帰国後に自分の留学先での経験をいかに周りの弁護士に説得的に伝えていくのかを意識していました。そうなるとやはり弁護士や法曹界から見たときに、知名度の高い大学を選ぶのが良いのではないかと考え、それがハーバードを選択した1つの理由です。
ハーバード自体がすごく魅力的だったというのも非常に大きいです。まず一つは相互履修(Cross-Registration)制度があることです。これは所属している大学院以外の授業であっても受講できるという仕組みで、ハーバードの場合は他のスクール、例えばロースクールやビジネスクール、ケネディスクール(行政大学院)など日本でも非常に著名な大学院の授業が取れるというものです。加えてMIT(マサチューセッツ工科大学)の授業も取れるんですね。他にも国際関係に専門性がある人だとご存知の方がいるかもしれませんが、タフツ大学の授業も受けられたと記憶しています。他の大学の大学院も含めて、色々な大学院の授業を相互履修で取れるので、潜在的な履修可能科目というのは、膨大で様々な分野に及びます。特に自分のように、非医療従事者からパブリックヘルスを学ぼうとする人間とっては、自分のバックグランドに合わせて柔軟に履修可能な授業を選べるところが、とても魅力的に思えました。
あとはボストンに立地しているところが大変重要な点だと思っています。ヘルスケアやバイオに詳しい方だとボストンの「奇跡のワンマイル」と呼ばれるエリアのことを耳にしたことがあるかもしれないですが、ボストンにはヘルスケアやバイオ産業が集約していています。ハーバードやMITのようなアカデミア機関も近くに存在しており、シリコンバレーと並ぶ存在感を示しています。シリコンバレーでもヘルスケアやバイオの話を聞く際に、同産業が盛んな地として、シリコンバレーと合わせてボストンの名前が上がることが多かったように思います。そうした環境でヘルスケア関係のことを学べること自体が何にも替えがたい価値だと思います。
そのため、単なる知名度だけではなくて実際にハーバードに行って学ぶことの価値自体がとても高かったことが、最終的にハーバードを志望校として選んだ理由でした。
千代谷
日本と米国の公衆衛生大学院を比較すると教育内容や学生のバックグランドにはどのような違いがありますか?
南谷
話を聞く限り、国内の公衆衛生大学院に在籍されている方のバックグラウンドは、近年多彩になってきているとのことです。例えば、医師・看護師・薬剤師以外にも、ヘルスケアスタートアップに勤務している方や産業保健師の方がいらっしゃるようです。ただ、海外の公衆衛生大学院と比べると、公務員・官僚の割合は低いように感じます。ハーバード公衆衛生大学院での日本人の同期は、医系技官の割合がかなり多い印象でした。それはそれで少し偏りがあるのかもしれないですが、官庁の政策担当者の方と同期としてざっくばらんに話せる環境であったのは非常に大きかったです。
また、海外の公衆衛生大学院の方が生徒のバックグラウンドはより多彩なように感じます。例えば、会計士、大手の製薬会社、ロースクール在籍・出身者(ロースクールと公衆衛生大学院で両方の学位が取れるプログラムがあります)、労働衛生コンサルト、IT企業出身など様々でした。国籍については中国やインドからの学生が多かったのに加え、中央アジアやアフリカ、東ヨーロッパの方々も多くいました。自分が当初思っていた以上に国籍としてもダイバーシティがあると感じました。
プログラムの面でいくと、国内の公衆衛生大学院では、特に疫学とメンタルヘルスに注力していると、国内の公衆衛生大学院に所属している方から聞いています。産業衛生や栄養疫学、グローバルヘルス、医療政策や医療経営といった分野まで網羅的にカバーしている国内の公衆衛生大学院はまだないように感じます。ただ、九州大学の公衆衛生大学院は医療経営に特化したりしており、各大学院で特色を出そうとしているのかもしれません。いずれにせよ、パブリックヘルスの大きな特徴の1つは学際性なので、その特性を活かせる総合的なカリキュラムと研究を行える人材を揃える必要があるように感じます。
国外・国内の公衆衛生大学院を比較した場合、国内の公衆衛生大学院の方が優れている点も多いと思います。日本語でパブリックヘルスに関するインプットが受けられること自体がいい環境だと思いますし、最近は海外の公衆衛生大学院で研鑽を積まれた方が教員として在籍しているとも聞いています。
アメリカの大学院は、現在円安基調ですし学費自体がとても高いので、1年間で1000万円超の学費を支払えるのかという問題は大きいです。そうした経済的なデメリットを補って余りある魅力を公衆衛生大学院留学に見いだせるのか、という点は重要でしょうね。それぞれの善し悪しを踏まえながらどちらがいいかを判断する感じになると思います。
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Chapter 3:スタンフォード大学ロースクール
Chapter 4:パブリックヘルスと医療政策
Chapter 5:プラネタリーヘルス
Chapter 6:人生を変えた決断と今後の展望
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